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第65回  『 右脳インタビュー 』  (2011/4/1)

岡松 壯三郎さん   
一般財団法人 工業所有権協力センター 理事長
元通商産業審議官 
 

  
 
プロフィール
 
1937年東京都生まれ、東京大学法学部卒。通商産業省入省後、生活産業局長、立地公害局長、通商政策局長、通商産業審議官を歴任。独立行政法人 経済産業研究所 初代理事長退任後、一般財団法人 工業所有権協力センター理事長に就任(現任)。


 

片岡:

今月の右脳インタビューは岡松壯三郎さんです。本日は国際交渉についてお聞きしたいと思います。
 

岡松

通商や温暖化問題で5年半程、交渉を担当しました。Bill Clinton大統領が就任(1993年)したばかりで日米摩擦が最もホットな時期に通商を担当していたので、「米国からいじめられて嫌でしょう」とよく言われましたが、私はNew Yorkに3年程住んだ経験から米国が好きでしたし、彼らの立場も理解できました。以心伝心は通じませんが、移民の国、多民族国家でオープン、ざっくばらんにものを言っても、こちらがsubstanceを持って接すれば評価してくれる社会です。ですから交渉の時も相手の立場を忖度することを基本と考えていました。ところで日本では政府と民間との距離が近すぎると言いますが、米国ではもっと近い関係にあります。自動車問題の交渉中、別室にビッグスリーの人たちがいて、「少し待ってくれ、その新しい提案について彼らの意見を聞いてくる…」と米政府の担当者は当然のように言っていました。「我々も事前に意見を聞いてはくるが、ここに入ったら日本を代表して貴方と交渉をしている」とは言ったものの、彼らの立場は理解できましたので拒みませんでした。大統領が変わるのに伴って彼らの様な政府高官も入れ替わり、彼らは4年の内、2年間ほどしかいませんから、その間に成果を上げないといけません。ですから彼らに花を持たせつつも、こちらの譲れない一線を如何に分らせるかが大切でした。
 

片岡:

主な交渉相手は誰だったのでしょうか。
 

岡松

米国にはUSTR(通商代表部)と商務省がありましたが、最後はUSTRでした。というのは当時、USTRのMickey Kantor代表が商務長官よりも力が強かったからです。私は彼の部下のCharlene Barshefsky(1997年にはKantor代表の後任として通商代表に就任)と交渉しました。彼女は弁護士ですから、こちらの話をしっかりメモして「貴方は、今5つの事を言いましたね…」と一つずつ反論してきました。初め、ああそうかで終わらせていたのですが、本当は最後にもう一度、こちらが反論しなくてはいけなかったのです。“agree to disagree”という言葉がありますが、今日は、この点は合意したが、こちらは「合意に至らなかったという事に合意した」と必ずここまでしないといけません。そうすれば彼らも合意事項を上にあげる事が出来、次に進めます。
 

片岡:

政治家が外遊後、「X大統領にYと申し上げました」という発言がよくありますね。
 

岡松

むこうはこう言って、こちらはこう言った、それは何も進んでいないのと同じです。ところでKantor代表は、私がCharleneやJeffrey E. Garten米商務次官と詰めて合意した事までも大臣折衝で再度議論したがるのです。私たちとは仕事の進め方が異なり、短期決戦の個人プレーで、Clinton大統領と如何に繋がっているかが大切でした。ですから私も「この人とでは無理だな」というところは橋本竜太郎大臣に上げていました。橋本大臣は理解も早く交渉力も優れていて「分かった、俺がやる」といって一対一で交渉しました。一対一というのは大切でお付きがいてはいけません。ある時、橋本大臣がそのテ・タ・テ(tete a tete=差し向かいの対談)のために代表の部屋に入ると、直ぐ出てきました。「どうしたのですか」と聞くと、「約束を守らないから出てきた。事前にタバコを吸うと伝えていたのに灰皿がなかった」、最初にビシッと打ち込む、これが剣道の達人 橋本流の交渉術です。向こうはびっくりして、追いかけるように出てきたKantor代表が「灰皿を用意するから…」と謝ってきました。
 

片岡: トップを交渉の場に引き出すのは、枠を広げ、落とし所を探す目的もありますね。
 

岡松

本来はそうなのですが、Kantor代表 対 橋本大臣では互いに降りられなくなって…。当時、自動車問題はもっともホットな問題でしたから簡単にはいきませんでした。結局、輸出の面では米国での現地生産を促進しました。輸入については、彼らは、欧州車は日本で売れているのに米国車は売れない、これは差別だと主張していました。私は、米国の大きい車を持ってきてもダメで、欧州は日本市場向けに小型車も、右ハンドル車も用意している。またQuality, Cost, Design, Delivery, Serviceの頭文字をとったQCDDSという言葉を使い、米国車はQCDDSのどれをとっても悪い。クオリティーは悪いし、コストは高い、デザインは日本向けではない、デリバリーは正確でないし、アフターサービスに至っては…、これで売れると思うのかと事あるごとに反論しました。それならばと米国は、NEON(注1)を投入し、これが売れなかったら日本市場は米国車を差別しているはずだと言ってきました。日本のメーカーに聞くと「こんな車に負けるものは作っていません。ドア一つとっても閉めるときの音が如何にも軽くて…、日本の消費者にはアトラクティブでない」と言っていました。結果的には日本で全く売れませんでした。
 

片岡:

当時の米国車日本市場にあまりマッチしていないことは明らかで、米国もその事を初めから理解していたはずです。目的は本当にそこにあったのでしょうか。
 

岡松

ビッグスリーからの圧力がそれだけ強かったということでしょう。彼らは数値目標の設定も要求してきましたが、何とか断り切りました。“government reach”という言葉をよく使って、市場で消費者がどの車を選ぶかまで政府は強制できないと反論しました。ならば政府調達はコントロールできるはずだ…と攻めてきました。これには日本政府の中にもかなり傾いた人たちがいました。米国との交渉中、某大使が政府調達への政府の介入を受け入れるように外務大臣を説き伏せているので、岡松の意見を聞かせて欲しいと頼まれた事もあります。そこで外務省用の控室に行って「大臣、そんなことを受け入れたら全て崩れます。政府が調達にどう介入するのですか。できっこありません…」と申し上げました。同席されていた麻生太郎議員(以前からよく存じ上げていたのですが)が「岡松ちゃん、分かった。大臣、断りましょう」、そうしてギリギリのタイミングで切り抜けましたが、それ程、危機的状況もありました。日本にはあまりに米国で自由主義経済を学んだ留学生が多くいすぎて、どうしても交渉のストラテジーが米国流になってしまいました。英語の問題もありますが、世界では米国型の交渉がスタンダードとなっています。ただ中国だけは別で、頑張っていますが…。ところで、当時、榊原英資国際金融局次長が大蔵省から交渉に参加していたのですが、彼は英語の達人なのに交渉の席では絶対に英語をしゃべりませんでした。もともと正式な交渉は必ず自国語で行うというのがルールなのですが、普通は、どうしても英語をしゃべりたくなってしまい、かえって余裕をなくしてしまいます。
 

片岡:

交渉のテーブルについた時には既にハンディーを負っている…。世界中から留学生を引き寄せる米国の力と戦略は深いですね。ところで中国は常に自分の土俵に持ち込んで戦おうとし、そのために強大な購買力も存分に活用しています。当時の日本も、同じような力ある程度は持っていたのではないでしょうか。
 

岡松

米国は欧州の暗黒を逃れてきて自由主義市場社会を作り上げ、このシステムは世界に冠たるシステムで、これで全て推し量るという強烈な意志がありました。日本に強く当たってきたのもそこです。他方、今の中国は、一党独裁国家資本主義が最高のシステムという事になっています。なぜならば、リーマン・ショックを乗り切ったのは中国だけだという自負があるからです。そこでぶつかり合っています。
 

片岡:

中国は急速な経済成長を続け、GDPも世界第2位、トップを狙う立場となりつつあります。今後米国からどのようなプレッシャーを受けるのでしょうか。
 

岡松

日本がプレッシャーを受けた時の事を考えると、まず@通貨で、これは既に始まっています。次にAダンピングですが、中国相手には難しいでしょう。後はB知財で攻めて来るでしょう。勿論、中国は法律を守っていると言っていますが、まだまだ守っているとは言い難い。そしてC市場開放です。三極、日米欧でやった時に、日本やドイツが世界経済の機関車になるようにと迫られました。中国に対してもD内需の拡大を迫るでしょう。現在、中国経済は思ったよりも上手く回っています。心配なことがあるとすればインフレで、どういう形で経済に影響を及ぼすか注視が必要です。また経済のグローバル化によって、例えば米国等が自国の経済を立て直すために行っている金融緩和のお金が、米国国内だけではなく、発展途上国に流れ、資源が値上がりしています。それからE国内にある格差の問題も解決していかないとなりません。更にF公害やG温暖化の問題もあります。公害は、そこで生活している人が害があると認識するようになるまでは解決が難しい問題で、私の在任中にも中国の石炭を原因とする日本の酸性雨問題があったのですが、当初、中国は「そんなことは関係ない、間に海があるのだから落ちるだろう…」と言っていました。流れが変わったのは重慶の石炭火力で近隣に公害が発生してからで、初めて調査をする事を了承するようになりました。こちらからいろいろ言ってもダメで、彼ら自身が必要を感じるになるまでは難しい…。他方、温暖化の問題は温暖化防止の枠組み条約に“Common, but differentiated responsibility”(条約第3条)という規定があり、 先進国が「こうしろ」、「一緒にやろう」と言うよりは、中国よりも遅れた国々が結束して「中国はもうわれわれとは違う。排出抑制すべきだ」と言うように誘導する方が良いでしょう。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

  ~完~(一部敬称略)
   
   

 

インタビュー後記

米国の留学生政策は非常に整備されています。戦後の日本に対してもFulbright program等の種々の制度を整えて優秀な人材を受入れ、教育と人脈を惜しみなく与えて日本の発展を支援するとともに、日米関係の強化や米国の国益にも合致させてきました。中国にも同様で、米国に留学する中国人学生は、法律や会計を専攻すると奨学金(年間3万ドルを超える授業料の大学も多い米国に奨学金なしで中国人が留学するのは難しい)を得やすいと言われ、米国の自由市場経済を学んだ数多くの留学経験者が中国で活躍しています。

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注  
注1 http://ja.wikipedia.org/wiki/クライスラー・ネオン
   

 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/10/30